発砲スチロールにフェイクファーをはったオレンジ色のクマ。一頭は立ち上がった身体の穴に(「Standing bears go back」)、もう一頭は平面に切り取られた背中に(「背中のないクマは後退する」)、それぞれ3つのプロペラが並んで取り付けられており、いずれも、模型飛行機用のそのプロペラの推進力で鋼鉄のレールの上を轟音とともに後退、チェーンで自動的に戻る、という運動を5分に一回繰り返す。
広さや音の問題などから、「都内だと、ここ以外は無理」と今回の会場に選ばれたのが、工場だったのを改装し昨年ギャラリーとしてオープンした現代美術製作所。この、まさに“ファクトリー”的ギャラリーの中で、クマたちが悠々と前進、後退を繰り返す様子はなんとも異様だ。それは「クマ」「後退」「美術」という、一見関連のないものがそれぞれの存在感を際立たせ、ぶつかり合っている異様さ、とも言えるだろう。
そもそもなぜ「クマ」なのか、なぜ「後退」なのか? タムラの答えは明解だ。
「“クマ”は“クマ”なんです。誰が見ても“クマ”って言うでしょう。つまり、そのものなんです。例えば信号は、青になったら進むし、赤になったら止まる、という意味がある。それを青とか赤という色としては見ない。そういう意味を持たせないものとして、おきたいんです。作品のタイトル『Standing bears go back ─立っているクマは後退する─』は、ただクマが行って戻る、という作品を説明しただけで、そこに詩的なものは全くない」
「例えば、電柱とか石ころだとかが、すごくきれいに見えたりすることがあるんです。夕暮れをきれいと感じたりすることと同じように。そういうのをいいと感じた時に、それってなんだろうと考えると、共通するのが、そこに“在る”ものである、ということだから」