Statement

なんの背景ももたない 思想的に真っ白な作品をめざし、意味の破壊をテーマに作品を制作。

その破壊は決して重いものではなく、むしろ軽やかに行われます。笑いさえおこるでしょう。作品の中で、意味を積極的に破壊するか、もしくは意味がつかない状態にしてしまいます。素材・形態が持つであろう意味・設定・目的からも、自由でありたいのです。あるいは、それらに疑問を持っているのです。

例えば、映像作品[プラスチックモデルは粉々にくだける:2000年制作]では、
プラモデルを野球のバットやゴルフのパットで壊し、プラモデルで“楽しく遊ぶ”ための新しい設定を"提示しています。

2kg Cow2kg Cowプラスチックモデルは粉々にくだけるプラスチックモデルは粉々にくだける[Double Mountain:2001年制作]では、山が山を登るという壮大なナンセンスが、その存在自体の意味性を喪失させています。フライドチキンがはさみ込まれたマンガを読む、映像作品[フライドチキンコミックス:2002-2003年制作]では、フライドチキンはインクで汚れ食べられなくなり、マンガには油がしみだして読めません。
フライドチキンとマンガの位置関係はお互いの存在理由を消しあっています。[2kg Cow:2004年制作]では、牛の彫刻の重さを調節し、そのタイトルが指し示す通りに2000gの牛の彫刻になっています。タイトルと作品のストレートな関係と牛の彫刻を2000gにするという強引な決断は、牛や重さを量るあるいは2000という数字が持つ意味から、逃避させます。

おそらく、ものに張り付く意味・設定・目的などは、自己と社会を繋ぐための、もう既に共通なものと思っている尺度なのです。

それは、いつのまのか意志・思考に溶け込んでいます。
作品の中で、意識的にそれを破壊あるいは無視し、剥き身の‘そのもの’をみせるのです。
意味・設定・目的を失ったあるいは無視されたそれは、まさに‘それ’でしかなくなるのです。

「何をつくるのか」という作家にとって、最も重要と思われることは、その時々に安直に決定されます。

しかし、そのものでしかないように作る あるいは見せるためには、最大限の注意を払います。